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Our Waveにようこそ

ここは、トラウマや虐待のサバイバーが、支えてくれる仲間たちとともに自分たちのストーリーを分かち合う場です。
これらのストーリーは、真っ暗だと感じる時にも希望が存在することに気づかせてくれます。
あなたの経験したことは決して一人ではありません。
誰でもいやされることは可能なのです。

今日は何から始めるのがよさそうですか?
いやしのメッセージ
サバイバーから
🇯🇵

同じように困難を抱えている人の支えになる

  • レポート

  • この瞬間、私が傷ついた過去は大切な使命となりました。
    私の声は誰かを助けるために使われ、私の経験は影響を与えています。
    私は今、自分のストーリーの中に力、強さ、そして美しささえも見出すことを
    選んでいます

    コミュニティへのメッセージ
    🇯🇵

    皆さんの経験されている、突然起こったDVとは少し違うと思いますが、メッセージさせて下さい。 私は4歳のときに、父親からお尻を触られた時から、すごく違和感を感じ、私は性的な対象として見られているのだと、思うようになってしまい、そのあとも付き合う人ができても、体の関係目的の人が多く、心身ともに疲れ、仕事も上手くいかず、うつ病になりました。病院へ行っても、直接的なDVではなかったため、ケアされることはなく、治らないまま、また働くことになり、その職場で上司の男性からセクハラを受けることになり、結婚していた人にも関わらず、関係は破綻していると嘘をつき、執拗に言いくるめられ、私は昔の経験の癖があり、「性的にしか相手にされない」という思い込みのまま、性的な関係になってしまいました。途中で、相手の夫婦関係が破綻してないことに気づき、離れて会社を辞めましたが、別れる際に眼鏡が飛ぶほど、殴られました。ほんとに、心のない自己中心的な男性はいるのだなと、心の底から嫌悪します。 そのあとは、カトリックの洗礼を受けて、セクハラは逃げれるようになりましたが、男性とお付き合いするのは恐怖で、結婚できていません。

  • レポート

  • ストーリー
    サバイバーから
    🇯🇵

    今でもどうしたらいいのか分からない

    私が4歳の時、従兄弟Xに体を触られた。 一度目 私は年齢の近い従兄弟たちと遊んでいた。 急に雨が降ってきてみんなで木下に隠れたでも、1人づつトイレに行きたがって家に帰って行った。最後に私と従兄弟Xのその弟の三人が残った。弟の方は寒いと帰ってしまって、私はその子と仲が良かったから一緒に帰ろうとした。その時、腕を掴まれて残るように言われた。すごく怖かった。急に後ろから抱きつかれ、スカートの中に手を入れられ触られた。口は抑えられ、木の間から見える人に助けを求めれなかった。何歳の差があったからなのかわからないけど、触られただけで済んだ。 二度目は従兄弟Xの家だった。従兄弟Xの弟(A)とは仲が良く、その親にも気に入られていた。 二度目も4歳だった。ゲームをしに行った。 従兄弟Xは私を膝に乗せ、親に見られないように触られた。私は隣にいたAにバレたくなかった。頑張って声を出さないようにした。人が周りにいたのにダメなことをしていると思って何も言えなかった。怖くて逃げられなかった。力で勝てるわけをないし、何をされているのかもわからない。ただ、悪いことをしているということを考えることしかできなかった。その人と会うことが今でもある。二回だけだった。でも、それで私はおかしくなった。小さい頃から性的なことに興味を持ってしまい、女の自分が気持ち悪くなるときもある。誰にも話せないのが余計にキツくなって、なんであいつは幸せそうに生きてるんだろうとも思う。なのに、私はあいつのことを親に言えない。ほんとは死ぬほど恨んでるのに。

  • レポート

  • 同じような状況に直面している皆さん、あなたは一人ではありません。
    あなたはとても価値があり、多くの人に愛されています。あなたは自分が思っているよりもずっと強いのです

    ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    大人になってから自分の母が毒親だったと気付いた。

    自傷行為と希死念慮の描写があります。ご了承ください。 HSPで独身、フリーランスをしています。私は現在38歳です。この年代の例にもれず、私の母も怒るときは手が出る人でした。 それだけではなく、私の部屋に飾ってあった大好きなアイドルのポスターをすべて破くなど、私が悪いことをしたから、と物をこわしてきたこともあります。 私や妹を怒るとき以外にも、料理が焦げた、手が滑って落としてしまったコップがかけた、などの理由でその料理を作っていたフライパンをシンクに何度も叩きつけたり、ただ欠けただけのコップや皿を叩きつけて割ったりなど、していました。 そして彼女はそのまま家を飛び出し、いつ帰ってくるかわからないこともしばしばで、子どもながらに心細かったことを覚えています。 13歳のときに、いつものように母が皿を割って家を飛び出した後に、耐えきれずその皿の破片で自傷行為をしました。腕を深く切ってみたのです。母には転んで怪我をした、と伝えたと思いますが、今も残っているこの傷はどうみても転んでできるものではありません。 母と私の中にあった異常な関係に気付いたのは私が36歳になってからです。 コロナ禍から立て続いて身内の不幸がありましたが、もう60を超えているはずの母が、感情のコントロールがあまりに出来ないでいることや、娘の私に対してだけ境界線が無いことなどを見て、徐々に私は小さい頃の自分の環境がおかしかったこと、身体的な傷と心の傷は思っていたより深かったことに気付いていきました。 嘘みたいですが、最近まで自傷行為のことを大したことだと思っていなかったんです。 この傷について考えることは人生の中でほとんどありませんでした。 隠したりもしなかったけど、誰に話すこともなく、何十年も過ごしてきました。 母とは仲が良く、なんでも喋っている関係だったので、今本当に苦しいです。 私はずっと家族や友人からキレやすい、怒りっぽいと言われて本当に悩んで、人間関係にも悩んできたので、どうして自分はこうなんだろう、と色んな本を読んだりネットで調べてみたり、性格を変えようと努力してきました。 なので、いい大人であったのに子どもに当たり散らしていたこと、物を壊す、家を飛び出すなどを日常的にしていたこと、そして何十年も私の性格をおかしいと笑っていた母が、本当に許せません。 何よりも、自分のこの人生が本当に取り返しのつかないものに思えて、悔しくて耐えられません。もっと早く母の異常な面に気づいていれば、私の性格や人間関係の築き方も変わっていたと思います。 そんな感情の洪水の中に居ます。 フリーランスの仕事が暇になり時間ができると、シンでも良いなと思うことがよくあります。 まとまりがありませんが、もし誰かのなにかになれば嬉しいです。

    コミュニティノート

    このストーリーには自傷行為や自殺念慮への言及が含まれています。あなたや知り合いの方が苦しんでいる場合は、危機対応のヘルプラインにご連絡ください。

  • レポート

  • あなたは素晴らしく
    強く、そして価値があります。
    一人のサバイバーからもう一人のサバイバーへ

    ストーリー
    サバイバーから
    🇯🇵

    父とは何だったのか

    父への怒りです。私から見て父は化け物です。家父長制に縛られています。私が幼いころから非常に問題行動を起こす人間でした。私が幼い頃は母への暴言、暴力。家の中では態度が大きい。外面が良い。転勤によってあちこち行きましたが、私は不登校を経験。高校の頃性被害に遭い、メンタルクリニックに通ったことで、私に対しては変だ、変だと。創作が好きでしたが、それも変だと。姉も父の被害者ですが、姉はいつも笑顔で父から何をされても笑顔でした。姉に対しては精神的にべったり。まるで恋人か母親の代わりでした。私は反抗していたためか無視。父に利用され、セクハラされ(私にも同様です)、まわりに言っても二次被害。まるで父は自分が何か偉いものでもあるように語るときもありました。母に暴言。おかしな女性はおかしな子どもを産む。生理になると女はおかしくなる。私自身、なぜ創作をするのか疑問に思い、アスペルガー症候群の検査をしようと思った時もあります。辞めましたが。。姉は別の男性に搾取され結婚し、結婚記念日の日に自死しました。歳を重ねた父には怒りしかなく、日本なので父を大事にしないといけないような風潮です。父の自業自得で、自分の業はあの世にもっていってもらいたいですが、残念ながら本人は驚くほど行動原理が変わっていません。加害者は変わらない。母は認知機能が少し衰えてきています。私が最終的に生き残るのかもしれません。私だけがボロボロですが。最期の時に立ち会うのか、葬式には行くのか迷っていますが、今の段階では立ち会う予定も、葬式に行く予定もありません。父の故郷がどこか多少記憶の欠落もあります。疲れた夜は死にたいとも考えてしまいます。一応、主治医に勧められたので創作を発表することに決めました。私の好きなこと(洋楽など)、通信制大学の単位を今まである程度とったこと、はるか昔に英検をとっていたこと。このことも含めて、後の人生をどう生きるか思案中ではあります。半分、対人恐怖で引きこもりですが。私の人生に価値はあるのか。まだ、答えは返っていません。

    コミュニティノート

    このストーリーには自傷行為や自殺念慮への言及が含まれています。あなたや知り合いの方が苦しんでいる場合は、危機対応のヘルプラインにご連絡ください。

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  • ストーリー
    サバイバーから
    🇬🇧

    子供たちの安全な生活

    私の物語 ― ただ子供たちに安全な生活を送らせたいだけ 過去の知り合いに気づかれるのが怖いので、匿名でこの物語を綴っています。私と子供たちを守るため、一部詳細を変更したり、省略したりしています。私が語る経験や感情はすべて私自身のものです。 人生のほとんどを、私は心の中に痛みを抱えて生きてきました。 怖かったり、恥ずかしかったり、あるいはただ単に自分の身に起こったことをどう説明すればいいのか分からなかったりして、誰にも話したことのないことをずっと抱えてきました。 今日、ようやく自分の物語を語ろうとしています。 復讐したいからではありません。 同情されたいからでもありません。 ただ、誰かに私の話を聞いてほしいだけなのです。 私の幼少期 幼い頃、私は家事をし、洗濯をし、アイロンをかけ、料理をすることが求められていました。 母の言う通りにできないことがあれば、罰せられました。 スプーンや他の物で叩かれたことを覚えています。体にはあざができていて、それを隠そうとしていました。 自分の家でさえ怖かったのです。 時には、寒くて暗くなりかけているのに、ちゃんとした服も靴も持たずに外に放り出されることもありました。怖くて木の下に隠れたことを覚えています。 数少ない安心できる場所の一つは、叔父の家に連れて行ってもらった時でした。叔父の家に行くのが楽しみでした。そこでなら少しは心が安らぐと分かっていたからです。 兄弟姉妹は私とは違う扱いを受けていると感じていました。母は私が生まれた時に男の子を望んでいたため、私は望まれていない存在だと感じさせられていたのです。 何年も、私は自分が何か悪いことをしたのだろうかと考えていました。 私はまだ子供だったのです。 私は何も悪いことをしていません。 決して私の意思で決められたことではなかったのです。 10代の頃、家族から休暇旅行に行くと言われました。 私はまず学業を終えたかったのです。 ところが、私は海外に連れて行かれ、その旅行の本当の目的は結婚することだったと知りました。 私はまだとても若かった。 結婚すれば、ずっと夢見てきた愛情あふれる家庭が手に入るかもしれないと、自分に言い聞かせようとした。 しかし、すぐに新しい夫は、私が期待していたような人ではないと気づいた。 家族に事情を話すと、「きっと良くなるよ」と言われた。 私は彼に一緒に住んでほしくなかった。 私の願いは聞き入れられなかった。 最初の結婚生活 実家に戻ると、私は働き、家事全般をこなすことを期待された。 お金の管理もされた。 長時間労働に加え、料理、掃除、夫の世話までさせられた。 期待に応えられないと、怒鳴られ、侮辱され、暴力を振るわれた。 性的暴力も受けた。私は同意していなかったが、私の意思は無視された。 最終的に、私は家を追い出された。 なんとかしばらくの間、安全な場所を見つけることができた。 もしかしたら、私の人生はついに変わるかもしれないと思った。 しかし、私は説得されて帰国しました。 その後、夫との同居を拒否したため、再び海外に連れて行かれ、長期間そこに置き去りにされました。 私は傷つき、恐怖に震えていました。 最終的に、私は圧力に屈し、同意しました。 私の子供たち 私はついに母親になりました。 子供たちは私の全てでした。 子供たちの父親は私に暴力を振るい、子供たちが傷つけられないように、私が彼と子供たちの間に割って入らなければならない時もありました。 私は恐怖に怯えていましたが、子供たちを守れるなら、誰にも傷つけられることを許すわけにはいきませんでした。 長年の浮気、暴力、怒鳴り声、そして恐怖の後、夫はついに去っていきました。 私は安堵しました。 しかし、彼は戻ってきました。 周りの人たちは、彼は変わったからもう一度チャンスを与えるべきだと言いました。 私はそうしたくありませんでした。 子供たちも私も怯えていました。 そして、決して忘れられない夜が訪れました。 仕事中に、子供の一人から連絡があり、父親が私を殺そうとしているから家に帰らないでほしいと警告されました。 家に帰ると、襲われました。 殴られ、家具に投げつけられ、怪我をしました。 一時は、ナイフを喉元に突きつけられ、脅されました。 子供たちは恐怖に震えていました。 子供たちは、助けが来るまでの間、犯人の注意をそらす方法を一緒に考えてくれました。 取り返しのつかないことが起こる前に、警察が来てくれるようにと祈っていたのを覚えています。 やがて、ドアをノックする音がしました。 警察が到着しました。 犯人は逮捕されました。 私は震えながら泣いていました。体中が痛み、恐怖でいっぱいでした。 病院に運ばれました。 その後、子供たちと私は安全な場所に移動しました。 久しぶりに、危険から少し距離を置くことができました。 新たな生活の始まり 数ヶ月の別居生活を経て、私たちは家に帰りました。 ようやく生活を立て直せると期待していました。 ところが、家財道具はすべて運び出され、 家具は捨てられ、 子供たちの持ち物は売られてしまいました。 「私たちは快適な生活を送る資格はない。床に座って寝るしかない」と言われました。 私は打ちのめされました。 しかし翌朝、私は起き上がり、子供たちのために最低限の食料を買いました。 その時、私は働かなければならないと決意しました。 夜勤の仕事を見つけました。 託児所を手配し、子供たちを中心に生活を築き上げました。 夜通し働き、家に帰って子供たちの学校への準備をし、学校へ送り届け、数時間眠り、起きて料理と掃除をし、子供たちを迎えに行き、食事を与え、習い事に連れて行き、寝かしつけ、そしてまた仕事に戻る、そんな毎日でした。 疲れ果てていました。 それでも、子供たちが私を必要としていたから、私はやり遂げました。 家を失った 生活を立て直そうと奮闘する一方で、身近な人たちとの間で深刻な経済的困難にも見舞われました。 私は子供たちのために家を建てようと懸命に働いてきました。 長年の努力とお金を注ぎ込み、安全で幸せな場所にしようと努めてきました。 ところが、私の同意なしに、家が別の親族に譲渡される手続きが進められていたことを知りました。 仕事から帰宅すると、家が売られたと告げられました。 信じられませんでした。 あの家はただの建物ではありませんでした。 子供たちが育った場所でした。 私が子供の頃に持てなかった家庭と家族を築こうと努力した場所でした。 何年もかけて、私たちの家として作り上げてきた場所でした。 突然、すべてがなくなってしまったのです。 子供たちと私は行くところがなくなってしまいました。 しばらくの間、親戚の家に身を寄せましたが、床で寝ることを強いられました。 最終的に、私は市役所に助けを求めました。 私と子供たちは仮住まいに身を寄せました。 プライバシーはほとんどなく、生活に苦労していました。 やがて、住む場所を与えられました。 私はできる限り働き続けました。 介護の仕事に就き、必要に応じて他の仕事も引き受けました。 子供たちを養うために、できる限りのことをしました。 再び愛を見つけようとしました。 家族は私に再婚を迫り続けました。 私はもう結婚したくありませんでした。 また同じことを繰り返すのが怖かったのです。 しかし、周りの人たちは、他の人にチャンスを与えるべきだと言い続けました。 最終的に、優しくて思いやりのある人だと聞いていた男性と結婚することに同意しました。 最初は、彼は素晴らしい人に見えました。 もしかしたら、ずっと待ち望んでいた人にやっと出会えたのかもしれないと思いました。 そして、妊娠しました。 状況は一変しました。 彼は私にお金を要求し始めました。 彼は怒りっぽくなり、言葉による虐待をするようになりました。 彼は私に、一緒に暮らすための手配をしてほしいと言いました。 私は妊娠中で、まともに働くことができませんでした。 あんなに優しそうに見えた人が、なぜこんな仕打ちをするのか理解できませんでした。 周りの人に助けを求めましたが、「彼を喜ばせて、彼の言う通りにしなさい」と言われました。 まるで過去が繰り返されているようでした。 帝王切開で出産し、まだ入院中だった時、彼から私の心を打ち砕くような言葉をかけられました。 息子を産んだばかりだったのに。 愛され、支えられていると感じるどころか、私は無価値な存在だと感じさせられました。 その後も、彼はお金が欲しい時だけ優しく接するようになりました。 私は生活費を払い、子供を養うために必死でした。 やがて、彼が別の女性と関係を持っていた証拠を見つけました。 またしても、私の心は打ち砕かれました。 この結婚は違うものになると信じていたのに。 そして、彼は去っていきました。 今の私 今は4人の子供を育てています。 私は長年、できる限り働き、家族を養ってきました。 しかし最近、すべてがまた変わってしまいました。 私は深刻な病気を患い、両肺に血栓ができていると診断されました。 健康状態が悪いため、今は働くことができません。 これは本当に恐ろしいことです。 働くことは、これまでずっと私たちの生活を支えるための手段でした。今は、子供たちの世話をするという責任を負いながら、これまで通り働くことができなくなってしまいました。 毎日が苦闘の連続です。 これまで数々の困難を乗り越えてきたのに、まさか健康問題が新たな闘いになるとは想像もしていませんでした。 それでも、私はまだ生きています。 子供たちの世話をしながら、前に進む道を見つけようと努力しています。 何年もの間、私は自分を責め、自分に何か問題があるのではないかと考えていました。 虐待を受けたからといって、自分が虐待されるに値する人間だったわけではない、ということが少しずつ分かってきました。 私は守られるべき子供でした。 私は選択する権利を持つべき若い女性でした。 私は安全と尊敬を受けるに値する妻でした。 私は子供たちのために安全で安定した家庭を持つ権利のある母親です。 復讐は望んでいません。 誰かを傷つけたいわけでもありません。 同情も求めていません。 ただ、私の物語を聞いてほしいだけです。 子供たちが安全で、愛され、守られていると感じながら育ってほしいのです。 これは私の物語です。 初めて、私はこの物語を語ります。

  • レポート

  • 希望のメッセージ
    サバイバーから
    🇯🇵

    どうやったら希望を持てますか

  • レポート

  • 嫌われてもいないし
    価値がないのでもありません。
    愛されるにふさわしい人です。
    あなたは強く、素晴らしく、かけがえのない人です

    ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    #1982

    別にアドバイスとか欲しいわけじゃないんだけど、もう本当に最悪だから、どこかに吐き出したいだけ。最近、彼氏との関係がすごく悪くなってきたの。起きるとか家に帰ると、ほぼすぐに私に文句を言い始めるの。ひたすら愚痴を言って、私を貶めて、私が彼の人生を台無しにしたとか、全部私のせいだって言うの。私が反応しなくても、彼は言い続けるの。だから最近は、ヘッドホンをつけてYouTubeを見てるだけ。昨日は、私が反応しないから彼は私にずっと文句を言い続けて、どんどんイライラしてたから、私は見てるものに合わせて歌い始めたの。やっと彼は黙って出て行った。その後、彼は戻ってきてまた同じことをしようとした。私はヘッドホンをつけて彼を無視した。彼は怒って私の充電器を奪い取って車で出て行った。今朝も同じこと。彼は起きてすぐに私に文句を言い始めた。私はヘッドホンをつけて、彼が愚痴を言っている間YouTubeを聞いていた。それからまた歌い始めたら、彼は仕事に出かけて行った。彼が私を怒らせようと必死になっているのに、私はただそこに座って満足していられるので、彼がすごく怒っているのを見るのは、正直言って病的に面白い。だって、私は文字通りYouTubeを見てるだけなんだから。でも同時に、めちゃくちゃ疲れる。もう彼のそばにいても完全に安全だと感じられなくなってきたし、今日シェルターに電話して、どうしたらいいか考えようと思う。一番怖いのは私の犬たち。私は飼っていて、彼らと離れたくないし、彼らに何かあったら嫌だ。それに、自分の持ち物、特にPCを失うのも怖い。もうどうしたらいいのかわからない。ただ誰かに話したかっただけ。アドバイスは要らない。ただこれを宇宙に投げ出して、「ああ、なんてこった、それはひどい」って誰かが言って、私をそのままにしておきたいだけ。

  • レポート

  • ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    当時私は19歳でした。今は35歳になり、ようやく過去と向き合おうとしています。これは、5年間続いた虐待的な関係の1年目の出来事です。

    支配は最終的に非常に深刻になり、その年のハロウィーンでついに頂点に達しました。私、元彼、ルームメイト、親友は、 大学にいる親友の彼氏を訪ね、 会場という森の中の大きなパーティーに行きました。最高に楽しい夜だったので、クレイジーでした。喧嘩もなく、たくさん踊って、とにかく楽しい時間を過ごしました。私たちは親友の彼氏の家に泊まりに戻りました。私たちは皆彼の部屋に泊まりました。親友と彼氏はベッドに、私、元彼、ルームメイトは床にいました。みんなが寝たところで、元彼が私にセックスをしようとしました。私は、大勢の人がいる部屋で彼と関係を持つつもりはないと言って断りました。彼はとても怒って、私が彼を愛していないと言いました。彼は、他に適切な言葉が見つからないのですが、「小声で叫ぶ」ように、バスルームに来て話をするように私に言いました。何度か拒否した後、彼はついに私の腕をつかみ、部屋から廊下を通ってバスルームまで床を引きずって連れて行った。彼は私を抱き上げ、ドアを閉め、私の顔をつかんで押さえつけ、私が彼を愛していないと私の顔に向かって叫び続けた。それから彼は手を離した。それは非現実的な出来事だった。私は完全に麻痺したような感覚だった。覚えている限りでは、私はバスルームから出て寝室に戻り、横になった。彼は私の隣に横になり、何度も謝りながら私を抱きしめようとした。私は何度も「触らないで。手を離して」と言った。彼は「いや、愛しているし、申し訳ないと思っているから、愛しているし申し訳ないと思っているから、触るんだ」と言った。翌日、私は自分がそんなことをされたことが信じられなかった。本当にそこまで事態が悪化し、自分が本当に虐待的な関係にあったことが信じられなかった。まるで体外離脱体験のようだった。彼は白いバラの花束を持って私の家のドアに現れた。彼が初めて私に奇妙な態度をとった時にくれたものと全く同じ花束だった。バラを見た瞬間、胃の底がムカムカした。まるで、起きたことが現実となり、彼がそれを認めて、花で解決できると思ったかのようだった。彼と別れなければならないことは分かっていたけれど、彼を傷つけてしまうのが怖くて、なかなか踏み切れなかった。今振り返ると、自分の身の安全のことなど全く考えず、ただ彼をどれだけ傷つけるか、だからこそ別れるのが難しいのかということばかり考えていたなんて、本当に信じられない。確か2週間後くらいに、私は彼と別れた(最初の別れ)。これは5年間続いた関係の1年目で、最終的に私の人生を根こそぎ変えることになった。

  • レポート

  • ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    バー 都市、州 2020

    2020 年日付の間、私は(女性)一人で仕事の出張で都市、州の別の場所へ面接を受けに行きました。キング牧師記念日の連休を利用して、新しい場所を体験し、自分に合うかどうかを確認しようとしていました。面接後、気分はかなり良かったです。ある時点で、「 バー 」というバーで飲み物を飲んでいました。このバーはその後名前が変わりました。飲み過ぎてしまい、警備員もいませんでした。92.63 ドル分のアルコール(食べ物なし)と、誰かが私にマリファナ(私は好きではありません)を渡した後、部屋がぐるぐる回っていました。この時点で、私はほとんど歩くことさえできませんでした。ギターを持った見知らぬ男性(おそらくそのバーで演奏していたのでしょう)が、私をホテルまで送ってくれました。帰り道、私は歩道のコンクリートに後ろ向きに倒れ、頭を打ちました。私たちは間違ったホテルに入りました。目的のホテル( ホテルを見つけた後、彼は私の部屋に入り、私の服を脱がせ、私をレイプしました。私は身動きが取れませんでした。どういうわけか、行為の最中にベッドから落ちてしまいました。翌日、目が覚めると、彼はベッドの私の隣で寝ていました。私はすぐに彼が私に危害を加えるか殺すつもりだと思ったので、彼に優しくしました。私たちはコーヒーを飲みに「 カフェ 」に行きました。彼はギターを私のホテルの部屋に置いていったので、後で取りに戻ることができました。正直、私が生き延びたことに驚いています。もっとひどいことになっていたかもしれません。最終的にどうやって逃げ出したのかは覚えていませんが、ホテルの部屋にいた時間は限られていました。これはもっとひどい悲劇になっていたかもしれません。私のような独身女性はどこに行っても安全ではないと思います。私はもう友達と一緒でも外出しません。家にいます。それが私にとって唯一の安全な場所です。もしあなたがバーやホテルで働いているなら、何かおかしいと思ったら、どうか声を上げてください。あなたは命を救えるかもしれない。

  • レポート

  • いやしは直線的ではありません。人それぞれ違います。
    プロセスで挫折が起こったとき、自分自身に対して忍耐強くいることが大切です。途中でうまくいかないことがあっても
    自分を許してください

    希望のメッセージ
    サバイバーから
    🇯🇵

    私はあなたの味方です 他言しないので、私に何でも言ってください

  • レポート

  • ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    私は弟とセックスした

    子供の頃の記憶はほとんどなく、幼い頃からずっとそうでした。でも、3歳頃から性欲が強くなり始め、その頃から兄(3歳半年上)と触れ合うようになったのだと思います。12歳の時、そのことを思い出して両親に話しました。母はパニックになり、私に怒鳴りつけました。「お前のせいだ」「誰にも言わなければ大したことない」と。母の言う通りなのではないかと、今でも不安に思います。 14歳で重度の精神病状態にあった時、もっと記憶が蘇ってきたような気がしました。兄の手が私の体や口に触れたような感覚を覚えました。3回性行為をした記憶が蘇りました。最初は6歳の時、最後は8歳の時でした。そのうちの1回は、兄が私を殴ったり、押さえつけたりしていました。精神病中に思い出した記憶なので、どれほど真実なのかは分かりません。 兄との性行為のことばかり考えてしまい、精神的に非常に不安定になりました。数ヶ月前、兄が私の首を掴んで性交したことを思い出しました(とても痛かったです)。兄とは毎日顔を合わせているし、親友でもあるので、本当にそんなことがあったのかと思うとすごく怖いです。他にも同じようなことを思い出してしまうのではないかと不安です。

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  • コミュニティへのメッセージ
    🇯🇵

    どうやって生きて行ったらいいの?

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  • 私たちはあなたを信じています。あなたは強いです

    ストーリー
    サバイバーから
    🇮🇹

    #1136

    最初、彼は私を友人たちから遠ざけました。彼にとって友人たちは、私のことを本当に気にかけている人たちではありませんでした。それから、私の過去や、職場や知り合いなど、私が人間関係を築けるすべての人々に嫉妬し始めました。そして、口論はどんどん攻撃的になっていきました。私の持ち物を床に投げつけるようになった彼は、怒りを私にぶつけるようになりました。髪を引っ張ったり、押したり、車の窓に頭を押し付けたり。私が彼に家から出て行くように脅すと、しばらくは私を殴るのをやめました。しかし、彼は私を侮辱し、中傷し、私の家族を侮辱し始めました。これらすべてが、私を守ろうと何もしてくれなかった彼の母親の目の前で起こったのです。2年半後、私は誰からも支えてもらえないと分かっていましたが、ようやく家を出る勇気が出ました。家族は、このような状況から抜け出すことがどれほど難しいかを理解していません。彼らはただ、そこに留まる人を「愚かな人」とみなすのです。 私はこの経験を乗り越えるために、心理面接を始めました。良くなったように思える日もあるけれど、辛い日もある。だって、起こったこと全部考えて…彼にこんなことを許してしまった自分に腹が立つ。

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    サバイバーから
    🇺🇸

    そのままで大丈夫だよ、と言われること、思うこと。

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    サバイバーから
    🇬🇧

    大丈夫なふりをするのが一番です。

    この物語、私の物語は25~24年前、私が7~8歳のときに始まりました。私は、人を守るべき第一人者である父から性的虐待を受けました(一度だけですが、衝撃を受けるほどでした)。そのことは誰にも話したことがなく、25年間、私自身以外誰もそれを知りませんでした。私自身も考えたくありませんでした。年月が経つにつれて、私はそれを心の片隅に追いやることを学びました。それはあまりにも辛く、不快で、そして何よりも恥ずかしかったからです。私がしたのではなく、私の近くにいる誰かが代わりにしたことに対して恥ずかしかったのです。その記憶が蘇ってきたら、私は抵抗することを学びました。私は(どういうわけか)父ととても親密になり、そんなことはなかったかのように振る舞いました。昨年初めて、その行為にも名前があり、それは「区分化」と呼ばれることを知りました。昨年、不安がさらに深刻になり、神経衰弱に陥りそうになった時、ついに声に出して話す時が来たと決心しました。不思議なことに、私は自分が性的虐待の被害者だと思ったことは一度もありませんでした。そして、自分の身に起こったことを話す時、「性的虐待」という言葉を使うのは本当に辛かったです。とはいえ、時が経つにつれて慣れてきて、以前よりは楽になりました(それでもまだ辛いですが)。10ヶ月以上セラピーを受け、その後3ヶ月間CTBコースを受けました。今でもセラピストと時々電話で連絡を取り合っています。セラピーで一番辛かったのは、私の体が求めていたこと、つまり父の責任を問うことでした。父はそれと向き合った後も、まだ責任を認めてくれず、正直に言うと、決して認めないでしょう。でも、私はそんなことは起こらないだろうと覚悟を決め、前に進むことを学びました。少なくとも父は、あの時起きた一つの行動が、ここ数年、そして今の私にどれほど大きな影響を与えてきたかを知っているのです。こうした虐待を受けた人のほとんどが、何らかの慢性的な痛みを抱える傾向があることを知りました。私も13歳の時に、まるで体の内側から蝕まれていくような感覚に襲われ、まさにその痛みに苦しみました。人生の半分以上を苦しんできたこの症状が、父のせいだと気づくのは容易なことではありませんでした。そして、そこからパニック発作が始まったのです。ご想像の通り、そして皆さんと同じように、長い回復の過程でした。私の回復過程(まだ終わっていないのですが)を本当に助けてくれた4つの大切なものは次のとおりです。 - サポートネットワーク(友人や家族は後になって初めて知りましたが、誰がやったのかはまだ分かっていません)。- 運動。私のメンタルヘルスのために私がした最高のこと。- 職場の素晴らしい上司。この道のりを通して私を支えてくれました。- そして(残念ながら)抗うつ薬。不安がひどくなった時期もありました。分かっています。私の回復はまだ終わっていないし、本当に望んでいるもの、つまり責任感は永遠に得られないかもしれない。でも少なくとも、何をしようと決めても、今は(ほとんど)自分でコントロールできている。父や自分の恐怖に左右されることはない。誰にでも辛い日はあるものだけど、少なくとも今は、自分は一人じゃないってことが分かっている。

  • レポート

  • いつでも助けを
    求めていいんだよ

    いやしのメッセージ
    サバイバーから
    🇬🇧

    私にとって、心の傷を癒すのは容易なことではありませんでした。 長年、生き延びるということは、ただ一日一日を乗り切ることだと思っていました。心の中にあまりにも多くの恐怖、傷、悲しみを抱えていたため、それをどう言葉にすればいいのか分からなかったのです。 今もなお、心の傷は癒えつつあります。そして、癒しは一夜にして起こるものではないと分かっています。辛い日もあれば、そうでない日もあります。今もなお苦しむ記憶や経験があり、これまでの全てに圧倒される時もあります。 しかし、癒しとは、私に起こったことは私のせいではないと認識することでもあるのだと、私は学び始めています。 自分自身にもっと優しくなろうとしています。 子ども時代に守られるべきだったこと、選択する権利があったこと、そして恐れずに生きる権利があったことを、私は学び始めています。 子どもたちは、私が生き続ける大きな原動力です。私が子どもの頃に得られなかった安全、愛情、そして安定を、子どもたちに与えたいと思っています。子どもたちには、自分が大切にされていること、そして優しさと敬意をもって扱われるべき存在であることを知ってほしいのです。 自分の経験を語ることは、私にとって癒しの一部です。長年、恐怖と恥のせいで沈黙を守ってきました。今、自分の物語を語ることは、自分の声を取り戻すための手段です。 健康問題や、今は働けないことによる不安など、今もなお様々な困難に直面しています。それでも、私はここにいます。子どもたちの世話をし、人生を立て直そうと努力し続けています。 未来がどうなるかはまだ分かりませんが、過去とは違う未来が待っていると信じ始めています。 私にとって、癒しとは、自分の声を見つけ、自分が大切な存在だと気づき、子どもたちを守り、そして再び希望を持つことを自分に許すことです。 経験したすべての傷が癒えるわけではないかもしれませんが、私は癒されつつあります。 そして、癒しは可能だと信じています。

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    サバイバーから
    🇬🇧

    「すべての被害者は生存者になる機会を持つべきだ」

    元夫は結婚生活中、言葉、性、精神、そして肉体的に私を虐待しました。彼は私に金銭目的で他人と性行為を強要しようとしましたが、幸いにも私はそれを阻止することができました。しかし、それに伴う代償はありました。結婚生活中に流産を経験し、セラピストに相談せざるを得なくなり、2年近く彼女と向き合ったことが、離婚の勇気を与えてくれました。離婚してから25年以上が経ちますが、今も虐待に起因するPTSDに苦しんでいます。その後、再婚し、10代の子供が2人います。子供たちが小さかった頃、私はいつも子供たちに、健全な関係とは何か、虐待につながる可能性のある行動をどのように見極め、「もうたくさんだ」と言うべきかについて話してきました。子供たちは、家庭で学んだことを友達に話しています。私は青少年団体やそのアドバイザーに対し、IPV/DVについて、何に注意すべきか、どのように対処し、支援のためのリソースを提供するべきかについて話しています。「もうたくさんだ」と言わなくても済む日が来るまで、私は「もうたくさんだ」と言い続けます。

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  • 希望のメッセージ
    サバイバーから
    🇬🇧

    長い間、私は希望を持つことが困難でした。 次から次へと困難な状況を乗り越えてきた年月の中で、人生が変わるなんて想像すらできなくなっていました。 しかし、子どもたちはいつも私に生きる希望を与えてくれました。 私の希望はシンプルです。子どもたちが安全で、愛され、安心できる環境で育ってほしい。私が子どもの頃に夢見ていたような、平和な家庭を築きたい。 健康を取り戻し、回復したら仕事に復帰して再び自立したい。一歩ずつ生活を立て直し、辛い経験が未来を決定づけるものではないことを子どもたちに示したい。 また、私の経験を語ることで、虐待を経験した誰かが孤独感を少しでも和らげられることを願っています。私の言葉が、たった一人でも、自分に起きたことは自分のせいではないと気づく助けになれば、私の物語を語ることに意味があるでしょう。 未来がどうなるかは分かりません。 しかし、久しぶりに、私は希望を持つことを自分に許しています。 私は、安全を願っています。 平和を願います。 安定を願います。 そして何よりも、私と子供たちが、当然享受できるはずの幸せで安全な生活を送れることを願っています。

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    サバイバーから
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    かつて私は被害者だった

    虐待から逃れて6年が経ちました。意識的にも無意識的にも、心が経験する葛藤について、誰も準備してくれません。癒しの旅で出会うほとんどの人は、あなたの感情や行動をどうコントロールすればいいのか理解しておらず、知りません。ただ前に進み、精神的虐待をすべて過去のものにすることを期待されます。虐待を受ける前のあなたを知る人たちは、あなたが現実に戻ることを期待します。私のように、多くの人にとって、現実に戻ることはまるで自動操縦装置に閉じ込められたような感覚でした。外見上は、周りの人を喜ばせるために努力していました。自分が何者なのか、趣味や興味が何なのかも分からなくなっていました。私は空っぽの殻から旅を始めました。感情と行動は混乱しました。精神を麻痺させる薬物に苦しみましたが、それが解決策ではないことは明らかでした。数年経っても、寝汗と何度も繰り返される悪夢に苦しみ続けていました。私は自分自身を助け、そして他の人を助けるという使命を掲げました。様々なプラットフォームを通して、私は一人ではないことを知りました。ノートと手元にある筆記具を使って、辛い記憶をすべて書き出し始めました。それから数年が経ちました。個人的な旅を始めたことで、私は解放され、自分がいかに美しく、そして癒しの旅がどれほど複雑であるかを知りました。もう悪夢を見ることはなく、大人になってからこれまでで最も強い自分になりました。自己認識を通して、私は力を得ました。自分の経験を記録する中で、自分の名前だけでなく、もっと多くのことを書く方法を学びました。今もなお、人々に語りかける方法を学んでいます。そしてそれ以来、毎日、他の人々が悪夢を克服できるよう支援しています。この辺りの芝生が息を呑むほど美しく、そして良い意味で美しいことに気づくまでには、少し時間がかかりました。

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  • 私たちは皆、味方になり、
    身近なサバイバーを支援する能力を持っています

    ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    1979年夏、ウェストバージニア州で性的虐待を受けた12歳の被害者

    日付年の夏、私が12歳の時、母と父と私は祖父母に会うためにへ1週間滞在しました。夏休みで学校が休みだったからです。バーベキューをしていた時、祖母の親戚が祖母に会いに来ました。彼らは祖父母の家から少し離れたラマダ・インに泊まりました。その時、夕食後、足を伸ばすために席を立ち、祖父母の家からそう遠くない森に鹿を見に行きました。すると、リーが私の後ろからついてきて、誰もこれから起こることを見られないように、私の腕をつかんで森の奥へと連れて行きました。彼は私に服を脱がせ、私の裸の体、ペニスや性器を触り、「これがセックスの仕方だ」と言いました。それから彼はズボンとボクサーパンツを下ろし、ペニスを触らせ、飲み込ませようとし、「両親や祖父母にこのことを言うな、さもないと…」と脅しました。嘘をついていると言って、私はそれについて何も言わなかった。次の日、彼は家の裏で私が丘の下から州間高速道路を走る18輪トラックを見ているのを見つけ、私を地下室に連れて行き、服を脱がせて、自慰を強要した。地下室の床は土だったので、精子を射精しなかったのは良かった。祖母が床が濡れている理由を尋ねたら、祖母に嘘をつくことができなかっただろう。祖母と孫の間には特別な絆があったからだ。だから、再び服を着ると、裸足で歩いた場所に土を広げて歩き回った。こうすれば、何が起こったのか祖母には分からなかった。今日に至るまで、あの野郎は刑務所で死んでいたのに、あの野郎はその後、非常に苦痛な死を遂げたので、もう二度と彼のことを心配する必要はない。

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  • Our Waveにようこそ

    ここは、トラウマや虐待のサバイバーが、支えてくれる仲間たちとともに自分たちのストーリーを分かち合う場です。
    これらのストーリーは、真っ暗だと感じる時にも希望が存在することに気づかせてくれます。
    あなたの経験したことは決して一人ではありません。
    誰でもいやされることは可能なのです。

    今日は何から始めるのがよさそうですか?
    ストーリー
    サバイバーから
    🇯🇵

    父とは何だったのか

    父への怒りです。私から見て父は化け物です。家父長制に縛られています。私が幼いころから非常に問題行動を起こす人間でした。私が幼い頃は母への暴言、暴力。家の中では態度が大きい。外面が良い。転勤によってあちこち行きましたが、私は不登校を経験。高校の頃性被害に遭い、メンタルクリニックに通ったことで、私に対しては変だ、変だと。創作が好きでしたが、それも変だと。姉も父の被害者ですが、姉はいつも笑顔で父から何をされても笑顔でした。姉に対しては精神的にべったり。まるで恋人か母親の代わりでした。私は反抗していたためか無視。父に利用され、セクハラされ(私にも同様です)、まわりに言っても二次被害。まるで父は自分が何か偉いものでもあるように語るときもありました。母に暴言。おかしな女性はおかしな子どもを産む。生理になると女はおかしくなる。私自身、なぜ創作をするのか疑問に思い、アスペルガー症候群の検査をしようと思った時もあります。辞めましたが。。姉は別の男性に搾取され結婚し、結婚記念日の日に自死しました。歳を重ねた父には怒りしかなく、日本なので父を大事にしないといけないような風潮です。父の自業自得で、自分の業はあの世にもっていってもらいたいですが、残念ながら本人は驚くほど行動原理が変わっていません。加害者は変わらない。母は認知機能が少し衰えてきています。私が最終的に生き残るのかもしれません。私だけがボロボロですが。最期の時に立ち会うのか、葬式には行くのか迷っていますが、今の段階では立ち会う予定も、葬式に行く予定もありません。父の故郷がどこか多少記憶の欠落もあります。疲れた夜は死にたいとも考えてしまいます。一応、主治医に勧められたので創作を発表することに決めました。私の好きなこと(洋楽など)、通信制大学の単位を今まである程度とったこと、はるか昔に英検をとっていたこと。このことも含めて、後の人生をどう生きるか思案中ではあります。半分、対人恐怖で引きこもりですが。私の人生に価値はあるのか。まだ、答えは返っていません。

    コミュニティノート

    このストーリーには自傷行為や自殺念慮への言及が含まれています。あなたや知り合いの方が苦しんでいる場合は、危機対応のヘルプラインにご連絡ください。

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    どうやったら希望を持てますか

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    バー 都市、州 2020

    2020 年日付の間、私は(女性)一人で仕事の出張で都市、州の別の場所へ面接を受けに行きました。キング牧師記念日の連休を利用して、新しい場所を体験し、自分に合うかどうかを確認しようとしていました。面接後、気分はかなり良かったです。ある時点で、「 バー 」というバーで飲み物を飲んでいました。このバーはその後名前が変わりました。飲み過ぎてしまい、警備員もいませんでした。92.63 ドル分のアルコール(食べ物なし)と、誰かが私にマリファナ(私は好きではありません)を渡した後、部屋がぐるぐる回っていました。この時点で、私はほとんど歩くことさえできませんでした。ギターを持った見知らぬ男性(おそらくそのバーで演奏していたのでしょう)が、私をホテルまで送ってくれました。帰り道、私は歩道のコンクリートに後ろ向きに倒れ、頭を打ちました。私たちは間違ったホテルに入りました。目的のホテル( ホテルを見つけた後、彼は私の部屋に入り、私の服を脱がせ、私をレイプしました。私は身動きが取れませんでした。どういうわけか、行為の最中にベッドから落ちてしまいました。翌日、目が覚めると、彼はベッドの私の隣で寝ていました。私はすぐに彼が私に危害を加えるか殺すつもりだと思ったので、彼に優しくしました。私たちはコーヒーを飲みに「 カフェ 」に行きました。彼はギターを私のホテルの部屋に置いていったので、後で取りに戻ることができました。正直、私が生き延びたことに驚いています。もっとひどいことになっていたかもしれません。最終的にどうやって逃げ出したのかは覚えていませんが、ホテルの部屋にいた時間は限られていました。これはもっとひどい悲劇になっていたかもしれません。私のような独身女性はどこに行っても安全ではないと思います。私はもう友達と一緒でも外出しません。家にいます。それが私にとって唯一の安全な場所です。もしあなたがバーやホテルで働いているなら、何かおかしいと思ったら、どうか声を上げてください。あなたは命を救えるかもしれない。

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    私は弟とセックスした

    子供の頃の記憶はほとんどなく、幼い頃からずっとそうでした。でも、3歳頃から性欲が強くなり始め、その頃から兄(3歳半年上)と触れ合うようになったのだと思います。12歳の時、そのことを思い出して両親に話しました。母はパニックになり、私に怒鳴りつけました。「お前のせいだ」「誰にも言わなければ大したことない」と。母の言う通りなのではないかと、今でも不安に思います。 14歳で重度の精神病状態にあった時、もっと記憶が蘇ってきたような気がしました。兄の手が私の体や口に触れたような感覚を覚えました。3回性行為をした記憶が蘇りました。最初は6歳の時、最後は8歳の時でした。そのうちの1回は、兄が私を殴ったり、押さえつけたりしていました。精神病中に思い出した記憶なので、どれほど真実なのかは分かりません。 兄との性行為のことばかり考えてしまい、精神的に非常に不安定になりました。数ヶ月前、兄が私の首を掴んで性交したことを思い出しました(とても痛かったです)。兄とは毎日顔を合わせているし、親友でもあるので、本当にそんなことがあったのかと思うとすごく怖いです。他にも同じようなことを思い出してしまうのではないかと不安です。

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    どうやって生きて行ったらいいの?

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    そのままで大丈夫だよ、と言われること、思うこと。

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    サバイバーから
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    大丈夫なふりをするのが一番です。

    この物語、私の物語は25~24年前、私が7~8歳のときに始まりました。私は、人を守るべき第一人者である父から性的虐待を受けました(一度だけですが、衝撃を受けるほどでした)。そのことは誰にも話したことがなく、25年間、私自身以外誰もそれを知りませんでした。私自身も考えたくありませんでした。年月が経つにつれて、私はそれを心の片隅に追いやることを学びました。それはあまりにも辛く、不快で、そして何よりも恥ずかしかったからです。私がしたのではなく、私の近くにいる誰かが代わりにしたことに対して恥ずかしかったのです。その記憶が蘇ってきたら、私は抵抗することを学びました。私は(どういうわけか)父ととても親密になり、そんなことはなかったかのように振る舞いました。昨年初めて、その行為にも名前があり、それは「区分化」と呼ばれることを知りました。昨年、不安がさらに深刻になり、神経衰弱に陥りそうになった時、ついに声に出して話す時が来たと決心しました。不思議なことに、私は自分が性的虐待の被害者だと思ったことは一度もありませんでした。そして、自分の身に起こったことを話す時、「性的虐待」という言葉を使うのは本当に辛かったです。とはいえ、時が経つにつれて慣れてきて、以前よりは楽になりました(それでもまだ辛いですが)。10ヶ月以上セラピーを受け、その後3ヶ月間CTBコースを受けました。今でもセラピストと時々電話で連絡を取り合っています。セラピーで一番辛かったのは、私の体が求めていたこと、つまり父の責任を問うことでした。父はそれと向き合った後も、まだ責任を認めてくれず、正直に言うと、決して認めないでしょう。でも、私はそんなことは起こらないだろうと覚悟を決め、前に進むことを学びました。少なくとも父は、あの時起きた一つの行動が、ここ数年、そして今の私にどれほど大きな影響を与えてきたかを知っているのです。こうした虐待を受けた人のほとんどが、何らかの慢性的な痛みを抱える傾向があることを知りました。私も13歳の時に、まるで体の内側から蝕まれていくような感覚に襲われ、まさにその痛みに苦しみました。人生の半分以上を苦しんできたこの症状が、父のせいだと気づくのは容易なことではありませんでした。そして、そこからパニック発作が始まったのです。ご想像の通り、そして皆さんと同じように、長い回復の過程でした。私の回復過程(まだ終わっていないのですが)を本当に助けてくれた4つの大切なものは次のとおりです。 - サポートネットワーク(友人や家族は後になって初めて知りましたが、誰がやったのかはまだ分かっていません)。- 運動。私のメンタルヘルスのために私がした最高のこと。- 職場の素晴らしい上司。この道のりを通して私を支えてくれました。- そして(残念ながら)抗うつ薬。不安がひどくなった時期もありました。分かっています。私の回復はまだ終わっていないし、本当に望んでいるもの、つまり責任感は永遠に得られないかもしれない。でも少なくとも、何をしようと決めても、今は(ほとんど)自分でコントロールできている。父や自分の恐怖に左右されることはない。誰にでも辛い日はあるものだけど、少なくとも今は、自分は一人じゃないってことが分かっている。

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    サバイバーから
    🇬🇧

    「すべての被害者は生存者になる機会を持つべきだ」

    元夫は結婚生活中、言葉、性、精神、そして肉体的に私を虐待しました。彼は私に金銭目的で他人と性行為を強要しようとしましたが、幸いにも私はそれを阻止することができました。しかし、それに伴う代償はありました。結婚生活中に流産を経験し、セラピストに相談せざるを得なくなり、2年近く彼女と向き合ったことが、離婚の勇気を与えてくれました。離婚してから25年以上が経ちますが、今も虐待に起因するPTSDに苦しんでいます。その後、再婚し、10代の子供が2人います。子供たちが小さかった頃、私はいつも子供たちに、健全な関係とは何か、虐待につながる可能性のある行動をどのように見極め、「もうたくさんだ」と言うべきかについて話してきました。子供たちは、家庭で学んだことを友達に話しています。私は青少年団体やそのアドバイザーに対し、IPV/DVについて、何に注意すべきか、どのように対処し、支援のためのリソースを提供するべきかについて話しています。「もうたくさんだ」と言わなくても済む日が来るまで、私は「もうたくさんだ」と言い続けます。

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  • この瞬間、私が傷ついた過去は大切な使命となりました。
    私の声は誰かを助けるために使われ、私の経験は影響を与えています。
    私は今、自分のストーリーの中に力、強さ、そして美しささえも見出すことを
    選んでいます

    コミュニティへのメッセージ
    🇯🇵

    皆さんの経験されている、突然起こったDVとは少し違うと思いますが、メッセージさせて下さい。 私は4歳のときに、父親からお尻を触られた時から、すごく違和感を感じ、私は性的な対象として見られているのだと、思うようになってしまい、そのあとも付き合う人ができても、体の関係目的の人が多く、心身ともに疲れ、仕事も上手くいかず、うつ病になりました。病院へ行っても、直接的なDVではなかったため、ケアされることはなく、治らないまま、また働くことになり、その職場で上司の男性からセクハラを受けることになり、結婚していた人にも関わらず、関係は破綻していると嘘をつき、執拗に言いくるめられ、私は昔の経験の癖があり、「性的にしか相手にされない」という思い込みのまま、性的な関係になってしまいました。途中で、相手の夫婦関係が破綻してないことに気づき、離れて会社を辞めましたが、別れる際に眼鏡が飛ぶほど、殴られました。ほんとに、心のない自己中心的な男性はいるのだなと、心の底から嫌悪します。 そのあとは、カトリックの洗礼を受けて、セクハラは逃げれるようになりましたが、男性とお付き合いするのは恐怖で、結婚できていません。

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  • 同じような状況に直面している皆さん、あなたは一人ではありません。
    あなたはとても価値があり、多くの人に愛されています。あなたは自分が思っているよりもずっと強いのです

    ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    大人になってから自分の母が毒親だったと気付いた。

    自傷行為と希死念慮の描写があります。ご了承ください。 HSPで独身、フリーランスをしています。私は現在38歳です。この年代の例にもれず、私の母も怒るときは手が出る人でした。 それだけではなく、私の部屋に飾ってあった大好きなアイドルのポスターをすべて破くなど、私が悪いことをしたから、と物をこわしてきたこともあります。 私や妹を怒るとき以外にも、料理が焦げた、手が滑って落としてしまったコップがかけた、などの理由でその料理を作っていたフライパンをシンクに何度も叩きつけたり、ただ欠けただけのコップや皿を叩きつけて割ったりなど、していました。 そして彼女はそのまま家を飛び出し、いつ帰ってくるかわからないこともしばしばで、子どもながらに心細かったことを覚えています。 13歳のときに、いつものように母が皿を割って家を飛び出した後に、耐えきれずその皿の破片で自傷行為をしました。腕を深く切ってみたのです。母には転んで怪我をした、と伝えたと思いますが、今も残っているこの傷はどうみても転んでできるものではありません。 母と私の中にあった異常な関係に気付いたのは私が36歳になってからです。 コロナ禍から立て続いて身内の不幸がありましたが、もう60を超えているはずの母が、感情のコントロールがあまりに出来ないでいることや、娘の私に対してだけ境界線が無いことなどを見て、徐々に私は小さい頃の自分の環境がおかしかったこと、身体的な傷と心の傷は思っていたより深かったことに気付いていきました。 嘘みたいですが、最近まで自傷行為のことを大したことだと思っていなかったんです。 この傷について考えることは人生の中でほとんどありませんでした。 隠したりもしなかったけど、誰に話すこともなく、何十年も過ごしてきました。 母とは仲が良く、なんでも喋っている関係だったので、今本当に苦しいです。 私はずっと家族や友人からキレやすい、怒りっぽいと言われて本当に悩んで、人間関係にも悩んできたので、どうして自分はこうなんだろう、と色んな本を読んだりネットで調べてみたり、性格を変えようと努力してきました。 なので、いい大人であったのに子どもに当たり散らしていたこと、物を壊す、家を飛び出すなどを日常的にしていたこと、そして何十年も私の性格をおかしいと笑っていた母が、本当に許せません。 何よりも、自分のこの人生が本当に取り返しのつかないものに思えて、悔しくて耐えられません。もっと早く母の異常な面に気づいていれば、私の性格や人間関係の築き方も変わっていたと思います。 そんな感情の洪水の中に居ます。 フリーランスの仕事が暇になり時間ができると、シンでも良いなと思うことがよくあります。 まとまりがありませんが、もし誰かのなにかになれば嬉しいです。

    コミュニティノート

    このストーリーには自傷行為や自殺念慮への言及が含まれています。あなたや知り合いの方が苦しんでいる場合は、危機対応のヘルプラインにご連絡ください。

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  • あなたは素晴らしく
    強く、そして価値があります。
    一人のサバイバーからもう一人のサバイバーへ

    嫌われてもいないし
    価値がないのでもありません。
    愛されるにふさわしい人です。
    あなたは強く、素晴らしく、かけがえのない人です

    ストーリー
    サバイバーから
    🇺🇸

    当時私は19歳でした。今は35歳になり、ようやく過去と向き合おうとしています。これは、5年間続いた虐待的な関係の1年目の出来事です。

    支配は最終的に非常に深刻になり、その年のハロウィーンでついに頂点に達しました。私、元彼、ルームメイト、親友は、 大学にいる親友の彼氏を訪ね、 会場という森の中の大きなパーティーに行きました。最高に楽しい夜だったので、クレイジーでした。喧嘩もなく、たくさん踊って、とにかく楽しい時間を過ごしました。私たちは親友の彼氏の家に泊まりに戻りました。私たちは皆彼の部屋に泊まりました。親友と彼氏はベッドに、私、元彼、ルームメイトは床にいました。みんなが寝たところで、元彼が私にセックスをしようとしました。私は、大勢の人がいる部屋で彼と関係を持つつもりはないと言って断りました。彼はとても怒って、私が彼を愛していないと言いました。彼は、他に適切な言葉が見つからないのですが、「小声で叫ぶ」ように、バスルームに来て話をするように私に言いました。何度か拒否した後、彼はついに私の腕をつかみ、部屋から廊下を通ってバスルームまで床を引きずって連れて行った。彼は私を抱き上げ、ドアを閉め、私の顔をつかんで押さえつけ、私が彼を愛していないと私の顔に向かって叫び続けた。それから彼は手を離した。それは非現実的な出来事だった。私は完全に麻痺したような感覚だった。覚えている限りでは、私はバスルームから出て寝室に戻り、横になった。彼は私の隣に横になり、何度も謝りながら私を抱きしめようとした。私は何度も「触らないで。手を離して」と言った。彼は「いや、愛しているし、申し訳ないと思っているから、愛しているし申し訳ないと思っているから、触るんだ」と言った。翌日、私は自分がそんなことをされたことが信じられなかった。本当にそこまで事態が悪化し、自分が本当に虐待的な関係にあったことが信じられなかった。まるで体外離脱体験のようだった。彼は白いバラの花束を持って私の家のドアに現れた。彼が初めて私に奇妙な態度をとった時にくれたものと全く同じ花束だった。バラを見た瞬間、胃の底がムカムカした。まるで、起きたことが現実となり、彼がそれを認めて、花で解決できると思ったかのようだった。彼と別れなければならないことは分かっていたけれど、彼を傷つけてしまうのが怖くて、なかなか踏み切れなかった。今振り返ると、自分の身の安全のことなど全く考えず、ただ彼をどれだけ傷つけるか、だからこそ別れるのが難しいのかということばかり考えていたなんて、本当に信じられない。確か2週間後くらいに、私は彼と別れた(最初の別れ)。これは5年間続いた関係の1年目で、最終的に私の人生を根こそぎ変えることになった。

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  • いやしは直線的ではありません。人それぞれ違います。
    プロセスで挫折が起こったとき、自分自身に対して忍耐強くいることが大切です。途中でうまくいかないことがあっても
    自分を許してください

    私たちはあなたを信じています。あなたは強いです

    いつでも助けを
    求めていいんだよ

    希望のメッセージ
    サバイバーから
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    長い間、私は希望を持つことが困難でした。 次から次へと困難な状況を乗り越えてきた年月の中で、人生が変わるなんて想像すらできなくなっていました。 しかし、子どもたちはいつも私に生きる希望を与えてくれました。 私の希望はシンプルです。子どもたちが安全で、愛され、安心できる環境で育ってほしい。私が子どもの頃に夢見ていたような、平和な家庭を築きたい。 健康を取り戻し、回復したら仕事に復帰して再び自立したい。一歩ずつ生活を立て直し、辛い経験が未来を決定づけるものではないことを子どもたちに示したい。 また、私の経験を語ることで、虐待を経験した誰かが孤独感を少しでも和らげられることを願っています。私の言葉が、たった一人でも、自分に起きたことは自分のせいではないと気づく助けになれば、私の物語を語ることに意味があるでしょう。 未来がどうなるかは分かりません。 しかし、久しぶりに、私は希望を持つことを自分に許しています。 私は、安全を願っています。 平和を願います。 安定を願います。 そして何よりも、私と子供たちが、当然享受できるはずの幸せで安全な生活を送れることを願っています。

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    同じように困難を抱えている人の支えになる

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    今でもどうしたらいいのか分からない

    私が4歳の時、従兄弟Xに体を触られた。 一度目 私は年齢の近い従兄弟たちと遊んでいた。 急に雨が降ってきてみんなで木下に隠れたでも、1人づつトイレに行きたがって家に帰って行った。最後に私と従兄弟Xのその弟の三人が残った。弟の方は寒いと帰ってしまって、私はその子と仲が良かったから一緒に帰ろうとした。その時、腕を掴まれて残るように言われた。すごく怖かった。急に後ろから抱きつかれ、スカートの中に手を入れられ触られた。口は抑えられ、木の間から見える人に助けを求めれなかった。何歳の差があったからなのかわからないけど、触られただけで済んだ。 二度目は従兄弟Xの家だった。従兄弟Xの弟(A)とは仲が良く、その親にも気に入られていた。 二度目も4歳だった。ゲームをしに行った。 従兄弟Xは私を膝に乗せ、親に見られないように触られた。私は隣にいたAにバレたくなかった。頑張って声を出さないようにした。人が周りにいたのにダメなことをしていると思って何も言えなかった。怖くて逃げられなかった。力で勝てるわけをないし、何をされているのかもわからない。ただ、悪いことをしているということを考えることしかできなかった。その人と会うことが今でもある。二回だけだった。でも、それで私はおかしくなった。小さい頃から性的なことに興味を持ってしまい、女の自分が気持ち悪くなるときもある。誰にも話せないのが余計にキツくなって、なんであいつは幸せそうに生きてるんだろうとも思う。なのに、私はあいつのことを親に言えない。ほんとは死ぬほど恨んでるのに。

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    🇬🇧

    子供たちの安全な生活

    私の物語 ― ただ子供たちに安全な生活を送らせたいだけ 過去の知り合いに気づかれるのが怖いので、匿名でこの物語を綴っています。私と子供たちを守るため、一部詳細を変更したり、省略したりしています。私が語る経験や感情はすべて私自身のものです。 人生のほとんどを、私は心の中に痛みを抱えて生きてきました。 怖かったり、恥ずかしかったり、あるいはただ単に自分の身に起こったことをどう説明すればいいのか分からなかったりして、誰にも話したことのないことをずっと抱えてきました。 今日、ようやく自分の物語を語ろうとしています。 復讐したいからではありません。 同情されたいからでもありません。 ただ、誰かに私の話を聞いてほしいだけなのです。 私の幼少期 幼い頃、私は家事をし、洗濯をし、アイロンをかけ、料理をすることが求められていました。 母の言う通りにできないことがあれば、罰せられました。 スプーンや他の物で叩かれたことを覚えています。体にはあざができていて、それを隠そうとしていました。 自分の家でさえ怖かったのです。 時には、寒くて暗くなりかけているのに、ちゃんとした服も靴も持たずに外に放り出されることもありました。怖くて木の下に隠れたことを覚えています。 数少ない安心できる場所の一つは、叔父の家に連れて行ってもらった時でした。叔父の家に行くのが楽しみでした。そこでなら少しは心が安らぐと分かっていたからです。 兄弟姉妹は私とは違う扱いを受けていると感じていました。母は私が生まれた時に男の子を望んでいたため、私は望まれていない存在だと感じさせられていたのです。 何年も、私は自分が何か悪いことをしたのだろうかと考えていました。 私はまだ子供だったのです。 私は何も悪いことをしていません。 決して私の意思で決められたことではなかったのです。 10代の頃、家族から休暇旅行に行くと言われました。 私はまず学業を終えたかったのです。 ところが、私は海外に連れて行かれ、その旅行の本当の目的は結婚することだったと知りました。 私はまだとても若かった。 結婚すれば、ずっと夢見てきた愛情あふれる家庭が手に入るかもしれないと、自分に言い聞かせようとした。 しかし、すぐに新しい夫は、私が期待していたような人ではないと気づいた。 家族に事情を話すと、「きっと良くなるよ」と言われた。 私は彼に一緒に住んでほしくなかった。 私の願いは聞き入れられなかった。 最初の結婚生活 実家に戻ると、私は働き、家事全般をこなすことを期待された。 お金の管理もされた。 長時間労働に加え、料理、掃除、夫の世話までさせられた。 期待に応えられないと、怒鳴られ、侮辱され、暴力を振るわれた。 性的暴力も受けた。私は同意していなかったが、私の意思は無視された。 最終的に、私は家を追い出された。 なんとかしばらくの間、安全な場所を見つけることができた。 もしかしたら、私の人生はついに変わるかもしれないと思った。 しかし、私は説得されて帰国しました。 その後、夫との同居を拒否したため、再び海外に連れて行かれ、長期間そこに置き去りにされました。 私は傷つき、恐怖に震えていました。 最終的に、私は圧力に屈し、同意しました。 私の子供たち 私はついに母親になりました。 子供たちは私の全てでした。 子供たちの父親は私に暴力を振るい、子供たちが傷つけられないように、私が彼と子供たちの間に割って入らなければならない時もありました。 私は恐怖に怯えていましたが、子供たちを守れるなら、誰にも傷つけられることを許すわけにはいきませんでした。 長年の浮気、暴力、怒鳴り声、そして恐怖の後、夫はついに去っていきました。 私は安堵しました。 しかし、彼は戻ってきました。 周りの人たちは、彼は変わったからもう一度チャンスを与えるべきだと言いました。 私はそうしたくありませんでした。 子供たちも私も怯えていました。 そして、決して忘れられない夜が訪れました。 仕事中に、子供の一人から連絡があり、父親が私を殺そうとしているから家に帰らないでほしいと警告されました。 家に帰ると、襲われました。 殴られ、家具に投げつけられ、怪我をしました。 一時は、ナイフを喉元に突きつけられ、脅されました。 子供たちは恐怖に震えていました。 子供たちは、助けが来るまでの間、犯人の注意をそらす方法を一緒に考えてくれました。 取り返しのつかないことが起こる前に、警察が来てくれるようにと祈っていたのを覚えています。 やがて、ドアをノックする音がしました。 警察が到着しました。 犯人は逮捕されました。 私は震えながら泣いていました。体中が痛み、恐怖でいっぱいでした。 病院に運ばれました。 その後、子供たちと私は安全な場所に移動しました。 久しぶりに、危険から少し距離を置くことができました。 新たな生活の始まり 数ヶ月の別居生活を経て、私たちは家に帰りました。 ようやく生活を立て直せると期待していました。 ところが、家財道具はすべて運び出され、 家具は捨てられ、 子供たちの持ち物は売られてしまいました。 「私たちは快適な生活を送る資格はない。床に座って寝るしかない」と言われました。 私は打ちのめされました。 しかし翌朝、私は起き上がり、子供たちのために最低限の食料を買いました。 その時、私は働かなければならないと決意しました。 夜勤の仕事を見つけました。 託児所を手配し、子供たちを中心に生活を築き上げました。 夜通し働き、家に帰って子供たちの学校への準備をし、学校へ送り届け、数時間眠り、起きて料理と掃除をし、子供たちを迎えに行き、食事を与え、習い事に連れて行き、寝かしつけ、そしてまた仕事に戻る、そんな毎日でした。 疲れ果てていました。 それでも、子供たちが私を必要としていたから、私はやり遂げました。 家を失った 生活を立て直そうと奮闘する一方で、身近な人たちとの間で深刻な経済的困難にも見舞われました。 私は子供たちのために家を建てようと懸命に働いてきました。 長年の努力とお金を注ぎ込み、安全で幸せな場所にしようと努めてきました。 ところが、私の同意なしに、家が別の親族に譲渡される手続きが進められていたことを知りました。 仕事から帰宅すると、家が売られたと告げられました。 信じられませんでした。 あの家はただの建物ではありませんでした。 子供たちが育った場所でした。 私が子供の頃に持てなかった家庭と家族を築こうと努力した場所でした。 何年もかけて、私たちの家として作り上げてきた場所でした。 突然、すべてがなくなってしまったのです。 子供たちと私は行くところがなくなってしまいました。 しばらくの間、親戚の家に身を寄せましたが、床で寝ることを強いられました。 最終的に、私は市役所に助けを求めました。 私と子供たちは仮住まいに身を寄せました。 プライバシーはほとんどなく、生活に苦労していました。 やがて、住む場所を与えられました。 私はできる限り働き続けました。 介護の仕事に就き、必要に応じて他の仕事も引き受けました。 子供たちを養うために、できる限りのことをしました。 再び愛を見つけようとしました。 家族は私に再婚を迫り続けました。 私はもう結婚したくありませんでした。 また同じことを繰り返すのが怖かったのです。 しかし、周りの人たちは、他の人にチャンスを与えるべきだと言い続けました。 最終的に、優しくて思いやりのある人だと聞いていた男性と結婚することに同意しました。 最初は、彼は素晴らしい人に見えました。 もしかしたら、ずっと待ち望んでいた人にやっと出会えたのかもしれないと思いました。 そして、妊娠しました。 状況は一変しました。 彼は私にお金を要求し始めました。 彼は怒りっぽくなり、言葉による虐待をするようになりました。 彼は私に、一緒に暮らすための手配をしてほしいと言いました。 私は妊娠中で、まともに働くことができませんでした。 あんなに優しそうに見えた人が、なぜこんな仕打ちをするのか理解できませんでした。 周りの人に助けを求めましたが、「彼を喜ばせて、彼の言う通りにしなさい」と言われました。 まるで過去が繰り返されているようでした。 帝王切開で出産し、まだ入院中だった時、彼から私の心を打ち砕くような言葉をかけられました。 息子を産んだばかりだったのに。 愛され、支えられていると感じるどころか、私は無価値な存在だと感じさせられました。 その後も、彼はお金が欲しい時だけ優しく接するようになりました。 私は生活費を払い、子供を養うために必死でした。 やがて、彼が別の女性と関係を持っていた証拠を見つけました。 またしても、私の心は打ち砕かれました。 この結婚は違うものになると信じていたのに。 そして、彼は去っていきました。 今の私 今は4人の子供を育てています。 私は長年、できる限り働き、家族を養ってきました。 しかし最近、すべてがまた変わってしまいました。 私は深刻な病気を患い、両肺に血栓ができていると診断されました。 健康状態が悪いため、今は働くことができません。 これは本当に恐ろしいことです。 働くことは、これまでずっと私たちの生活を支えるための手段でした。今は、子供たちの世話をするという責任を負いながら、これまで通り働くことができなくなってしまいました。 毎日が苦闘の連続です。 これまで数々の困難を乗り越えてきたのに、まさか健康問題が新たな闘いになるとは想像もしていませんでした。 それでも、私はまだ生きています。 子供たちの世話をしながら、前に進む道を見つけようと努力しています。 何年もの間、私は自分を責め、自分に何か問題があるのではないかと考えていました。 虐待を受けたからといって、自分が虐待されるに値する人間だったわけではない、ということが少しずつ分かってきました。 私は守られるべき子供でした。 私は選択する権利を持つべき若い女性でした。 私は安全と尊敬を受けるに値する妻でした。 私は子供たちのために安全で安定した家庭を持つ権利のある母親です。 復讐は望んでいません。 誰かを傷つけたいわけでもありません。 同情も求めていません。 ただ、私の物語を聞いてほしいだけです。 子供たちが安全で、愛され、守られていると感じながら育ってほしいのです。 これは私の物語です。 初めて、私はこの物語を語ります。

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    サバイバーから
    🇺🇸

    #1982

    別にアドバイスとか欲しいわけじゃないんだけど、もう本当に最悪だから、どこかに吐き出したいだけ。最近、彼氏との関係がすごく悪くなってきたの。起きるとか家に帰ると、ほぼすぐに私に文句を言い始めるの。ひたすら愚痴を言って、私を貶めて、私が彼の人生を台無しにしたとか、全部私のせいだって言うの。私が反応しなくても、彼は言い続けるの。だから最近は、ヘッドホンをつけてYouTubeを見てるだけ。昨日は、私が反応しないから彼は私にずっと文句を言い続けて、どんどんイライラしてたから、私は見てるものに合わせて歌い始めたの。やっと彼は黙って出て行った。その後、彼は戻ってきてまた同じことをしようとした。私はヘッドホンをつけて彼を無視した。彼は怒って私の充電器を奪い取って車で出て行った。今朝も同じこと。彼は起きてすぐに私に文句を言い始めた。私はヘッドホンをつけて、彼が愚痴を言っている間YouTubeを聞いていた。それからまた歌い始めたら、彼は仕事に出かけて行った。彼が私を怒らせようと必死になっているのに、私はただそこに座って満足していられるので、彼がすごく怒っているのを見るのは、正直言って病的に面白い。だって、私は文字通りYouTubeを見てるだけなんだから。でも同時に、めちゃくちゃ疲れる。もう彼のそばにいても完全に安全だと感じられなくなってきたし、今日シェルターに電話して、どうしたらいいか考えようと思う。一番怖いのは私の犬たち。私は飼っていて、彼らと離れたくないし、彼らに何かあったら嫌だ。それに、自分の持ち物、特にPCを失うのも怖い。もうどうしたらいいのかわからない。ただ誰かに話したかっただけ。アドバイスは要らない。ただこれを宇宙に投げ出して、「ああ、なんてこった、それはひどい」って誰かが言って、私をそのままにしておきたいだけ。

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    サバイバーから
    🇯🇵

    私はあなたの味方です 他言しないので、私に何でも言ってください

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    サバイバーから
    🇮🇹

    #1136

    最初、彼は私を友人たちから遠ざけました。彼にとって友人たちは、私のことを本当に気にかけている人たちではありませんでした。それから、私の過去や、職場や知り合いなど、私が人間関係を築けるすべての人々に嫉妬し始めました。そして、口論はどんどん攻撃的になっていきました。私の持ち物を床に投げつけるようになった彼は、怒りを私にぶつけるようになりました。髪を引っ張ったり、押したり、車の窓に頭を押し付けたり。私が彼に家から出て行くように脅すと、しばらくは私を殴るのをやめました。しかし、彼は私を侮辱し、中傷し、私の家族を侮辱し始めました。これらすべてが、私を守ろうと何もしてくれなかった彼の母親の目の前で起こったのです。2年半後、私は誰からも支えてもらえないと分かっていましたが、ようやく家を出る勇気が出ました。家族は、このような状況から抜け出すことがどれほど難しいかを理解していません。彼らはただ、そこに留まる人を「愚かな人」とみなすのです。 私はこの経験を乗り越えるために、心理面接を始めました。良くなったように思える日もあるけれど、辛い日もある。だって、起こったこと全部考えて…彼にこんなことを許してしまった自分に腹が立つ。

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    サバイバーから
    🇬🇧

    私にとって、心の傷を癒すのは容易なことではありませんでした。 長年、生き延びるということは、ただ一日一日を乗り切ることだと思っていました。心の中にあまりにも多くの恐怖、傷、悲しみを抱えていたため、それをどう言葉にすればいいのか分からなかったのです。 今もなお、心の傷は癒えつつあります。そして、癒しは一夜にして起こるものではないと分かっています。辛い日もあれば、そうでない日もあります。今もなお苦しむ記憶や経験があり、これまでの全てに圧倒される時もあります。 しかし、癒しとは、私に起こったことは私のせいではないと認識することでもあるのだと、私は学び始めています。 自分自身にもっと優しくなろうとしています。 子ども時代に守られるべきだったこと、選択する権利があったこと、そして恐れずに生きる権利があったことを、私は学び始めています。 子どもたちは、私が生き続ける大きな原動力です。私が子どもの頃に得られなかった安全、愛情、そして安定を、子どもたちに与えたいと思っています。子どもたちには、自分が大切にされていること、そして優しさと敬意をもって扱われるべき存在であることを知ってほしいのです。 自分の経験を語ることは、私にとって癒しの一部です。長年、恐怖と恥のせいで沈黙を守ってきました。今、自分の物語を語ることは、自分の声を取り戻すための手段です。 健康問題や、今は働けないことによる不安など、今もなお様々な困難に直面しています。それでも、私はここにいます。子どもたちの世話をし、人生を立て直そうと努力し続けています。 未来がどうなるかはまだ分かりませんが、過去とは違う未来が待っていると信じ始めています。 私にとって、癒しとは、自分の声を見つけ、自分が大切な存在だと気づき、子どもたちを守り、そして再び希望を持つことを自分に許すことです。 経験したすべての傷が癒えるわけではないかもしれませんが、私は癒されつつあります。 そして、癒しは可能だと信じています。

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    サバイバーから
    🇺🇸

    かつて私は被害者だった

    虐待から逃れて6年が経ちました。意識的にも無意識的にも、心が経験する葛藤について、誰も準備してくれません。癒しの旅で出会うほとんどの人は、あなたの感情や行動をどうコントロールすればいいのか理解しておらず、知りません。ただ前に進み、精神的虐待をすべて過去のものにすることを期待されます。虐待を受ける前のあなたを知る人たちは、あなたが現実に戻ることを期待します。私のように、多くの人にとって、現実に戻ることはまるで自動操縦装置に閉じ込められたような感覚でした。外見上は、周りの人を喜ばせるために努力していました。自分が何者なのか、趣味や興味が何なのかも分からなくなっていました。私は空っぽの殻から旅を始めました。感情と行動は混乱しました。精神を麻痺させる薬物に苦しみましたが、それが解決策ではないことは明らかでした。数年経っても、寝汗と何度も繰り返される悪夢に苦しみ続けていました。私は自分自身を助け、そして他の人を助けるという使命を掲げました。様々なプラットフォームを通して、私は一人ではないことを知りました。ノートと手元にある筆記具を使って、辛い記憶をすべて書き出し始めました。それから数年が経ちました。個人的な旅を始めたことで、私は解放され、自分がいかに美しく、そして癒しの旅がどれほど複雑であるかを知りました。もう悪夢を見ることはなく、大人になってからこれまでで最も強い自分になりました。自己認識を通して、私は力を得ました。自分の経験を記録する中で、自分の名前だけでなく、もっと多くのことを書く方法を学びました。今もなお、人々に語りかける方法を学んでいます。そしてそれ以来、毎日、他の人々が悪夢を克服できるよう支援しています。この辺りの芝生が息を呑むほど美しく、そして良い意味で美しいことに気づくまでには、少し時間がかかりました。

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    サバイバーから
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    1979年夏、ウェストバージニア州で性的虐待を受けた12歳の被害者

    日付年の夏、私が12歳の時、母と父と私は祖父母に会うためにへ1週間滞在しました。夏休みで学校が休みだったからです。バーベキューをしていた時、祖母の親戚が祖母に会いに来ました。彼らは祖父母の家から少し離れたラマダ・インに泊まりました。その時、夕食後、足を伸ばすために席を立ち、祖父母の家からそう遠くない森に鹿を見に行きました。すると、リーが私の後ろからついてきて、誰もこれから起こることを見られないように、私の腕をつかんで森の奥へと連れて行きました。彼は私に服を脱がせ、私の裸の体、ペニスや性器を触り、「これがセックスの仕方だ」と言いました。それから彼はズボンとボクサーパンツを下ろし、ペニスを触らせ、飲み込ませようとし、「両親や祖父母にこのことを言うな、さもないと…」と脅しました。嘘をついていると言って、私はそれについて何も言わなかった。次の日、彼は家の裏で私が丘の下から州間高速道路を走る18輪トラックを見ているのを見つけ、私を地下室に連れて行き、服を脱がせて、自慰を強要した。地下室の床は土だったので、精子を射精しなかったのは良かった。祖母が床が濡れている理由を尋ねたら、祖母に嘘をつくことができなかっただろう。祖母と孫の間には特別な絆があったからだ。だから、再び服を着ると、裸足で歩いた場所に土を広げて歩き回った。こうすれば、何が起こったのか祖母には分からなかった。今日に至るまで、あの野郎は刑務所で死んでいたのに、あの野郎はその後、非常に苦痛な死を遂げたので、もう二度と彼のことを心配する必要はない。

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    接地活動

    座り心地の良い場所を見つけてください。目を軽く閉じて、深呼吸を数回します。鼻から息を吸い(3つ数え)、口から息を吐きます(3つ数え)。さあ、目を開けて周りを見回してください。以下のことを声に出して言ってみてください。

    見えるもの5つ(部屋の中と窓の外を見ることができます)

    感じるもの4つ(目の前にあるもので触れるものは何ですか?)

    聞こえるもの3つ

    匂いを嗅ぐもの2つ

    自分の好きなところ1つ。

    最後に深呼吸をしましょう。

    座っている場所から、周囲を見回して、質感のあるもの、見ていて楽しいもの、興味深いものを探してください。

    何かを手に持ち、その物に全神経を集中してください。影が落ちている部分や、物の中に形が浮かび上がっている部分に注目してください。手に持った時の重さや軽さ、指の裏側の表面の質感を感じてみてください(ペットを飼っている場合は、ペットと一緒に行うこともできます)。

    最後に深呼吸をしましょう。

    以下の質問を自分に問いかけ、声に出して答えましょう。

    1. 私はどこにいますか?

    2. 今日は何曜日ですか?

    3. 今日の日付は何ですか?

    4. 今は何月ですか?

    5. 今は何年ですか?

    6. 私は何歳ですか?

    7. 今はどんな季節ですか?

    最後に深呼吸をしましょう。

    右手の手のひらを下にして左肩に置きます。左手の手のひらを下にして右肩に置きます。自分を強くしてくれるような言葉を選びましょう。例えば、「私は力強い」などです。まず文章を声に出して読み、右手で左肩を軽く叩き、次に左手で右肩を軽く叩きます。

    交互に叩きます。左右5回ずつ、合計10回叩き、そのたびに文章を声に出して繰り返します。

    最後に深呼吸をします。

    腕を体の前で交差させ、胸に引き寄せます。右手で左上腕を、左手で右上腕を押さえます。優しく握り、腕を内側に引きます。しばらく握りしめた状態を保ち、その瞬間の自分にとって適切な握り加減を見つけます。力を入れたら力を抜きます。そして再びしばらく握りしめ、力を抜きます。しばらくそのままの状態を保ちます。

    最後に深呼吸をします。